八百屋・魚屋・豆腐屋・行商のくらしと商い
江戸時代、人口100万人を超えた大都市・江戸には、日々の食を支える多種多様な食材屋が存在していました。現代のスーパーマーケットのような形ではなく、それぞれの品を扱う専門店や行商人が、町の中に溶け込むように存在していたのです。
■ 八百屋──季節の野菜が主役
八百屋では、四季折々の野菜が並びました。江戸時代の野菜は、今ほど種類は多くありませんでしたが、江戸郊外の農村で育てられた小松菜、ほうれん草、かぶ、大根、菜っ葉類が中心です。
旬が重視されていたため、春には菜の花、夏には瓜や茄子、秋には里芋や枝豆、冬には大根や白菜などが売られ、保存も兼ねて漬物にするのが一般的でした。
店舗は間口の狭い長屋の一角にあり、道に面した部分に木箱や俵を並べ、声を張り上げて売り込むスタイル。買い物客は量り売りで野菜を買い、持参の風呂敷や竹かごに入れて持ち帰ります。
■ 魚屋──朝の競りと夕方のにぎわい
江戸前(東京湾)の恵みを届ける魚屋は、江戸の町で重要な存在でした。朝に日本橋の魚河岸で仕入れた魚を、午前中には店頭に並べ、夕方には売り切るのが基本スタイル。
マグロやイワシ、アジ、ハゼ、コハダなど、江戸湾で獲れた魚介が中心で、塩でしめたり、干物にしたりと保存法も工夫されていました。
氷がない時代、鮮度は命。魚屋は木桶に氷水ではなく、海水や塩水を入れ、涼しいところに魚を並べて工夫していました。店の外には板を立てかけ、その上に魚を並べる簡素なスタイルで、すぐにさばいて渡すこともありました。
■ 豆腐屋──朝一番の鐘の音とともに
豆腐屋は夜中から仕込みを始め、朝には白い湯気を立てながら「トーフ〜、トーフ〜」と声を響かせて売り歩く行商スタイルと、店売りとがありました。豆腐は庶民の貴重なタンパク源であり、腐りやすいため、毎日新しいものが作られました。
豆腐だけでなく、油揚げや厚揚げ、おからなども一緒に売られました。店の裏手には小さな釜場があり、大豆をすりつぶす「石臼」や、にがりを打つための桶などが並び、作業の手順には熟練が必要です。

■ 行商──天秤棒で歩く商人たち
店を構えず、町を歩きながら物を売る「行商人(ぎょうしょうにん)」も多く存在しました。天秤棒の両端に商品を吊るし、売り声で通りを知らせながら歩きます。行商人には豆腐屋のほかにも、野菜売り、味噌売り、醤油売り、乾物屋、塩干物屋など、さまざまな種類がありました。
特に女性の行商人も多く、子育てや家事と両立しながら、午前中だけ町を歩く姿も見られました。行商人の売る商品は新鮮で、値段交渉もしやすく、長屋の住人にとっては便利な存在でした。
■ 食器屋──庶民の器と祭りの器
食器屋も江戸の町には欠かせない商売でした。庶民が日常で使う木製の椀や箸、竹のざる、陶器の鉢や皿など、用途や季節によって需要がありました。
安価な食器を売るのは「荒物屋(あらものや)」と呼ばれる店で、桶、ざる、まな板などの生活道具全般も扱っていました。
陶器専門の店は「焼き物屋」とも呼ばれ、美濃焼や瀬戸焼、九谷焼、笠間(江戸中期より)など地方から運ばれた器を並べていました。
お祭りの時期には、朱塗りの盆や祝い用の膳なども売られ、一時的に需要が高まりました。
江戸の町は、まさに「食の声」にあふれていた時代です。
季節を感じ、声を交わし、顔の見える関係で買い物をする。その姿には、効率では測れない温かさと知恵がありました。それは、昭和40年代くらいまでは、珍しくない光景として、まだ存在していました。



コメント