薄給なのに裕福だった理由
江戸同心の「役得」が支えた現実的な治安システム
同心の「役得」は、江戸時代の社会システムを象徴する、きわめて特異でありながら実に現実的な仕組みでした。
名目上の給料、すなわち禄高は驚くほど低いにもかかわらず、彼らが「八丁堀の旦那」と呼ばれ、余裕のある暮らしを送ることができた背景には、現代の倫理観や価値基準では単純に測れない、構造として組み込まれた利権が存在していたのです。
1.驚くほど乖離した「薄給」と「実収入」
同心の公式な給与は、一般に「三十俵二人扶持」前後とされています。
これを現代の金銭感覚に置き換えると、年収はおおよそ200万〜300万円程度に相当し、決して裕福とは言えない水準です。
ところが、実際の生活ぶりはこの数字とは大きくかけ離れていました。
多くの同心は、この数倍、腕利きと評された者に至っては、十倍以上の実収入を得ていたとも言われています。その差を生み出していたのが、いわゆる「役得」でした。
2.なぜ「賄賂」は公然と成立していたのか
当時の江戸において、商人や町人が同心へ金品を差し出す行為は、単なる不正行為としてではなく、「統治を円滑に進めるための潤滑油」として、社会の中に組み込まれていました。
- 「冥加金」的な献金
裕福な商人たちは、自らの店や町内で揉め事が起きた際、同心に迅速かつ有利に動いてもらうため、日頃から盆暮れの付け届けを欠かしませんでした。 - 不祥事の「内済」料
商家で奉公人が問題を起こし、公沙汰になれば、店の信用は大きく傷つきます。それを表沙汰にせず内々に処理してもらうための謝礼は、時に非常に高額なものとなりました。 - 「口利き」料
行政手続きを円滑に進めたり、幕府への申請を通しやすくしたりするための、いわば手数料にあたるものです。
3.年末に集中する付け届け――「黄金色」に染まる時期
とりわけ年末は、一年の中でも役得が最も集中する季節でした。
- 五節句や年末年始の挨拶
管轄下の町名主や組合から、現金や高級品が「挨拶」という名目で次々と届けられました。 - 座席料
芝居小屋や吉原の遊郭などは、治安維持という特権を持つ同心を、いわば上客、あるいは用心棒として扱いました。無料での招待に加え、帰り際には過分な土産や包み金を持たせるのが常でした。 - 「八丁堀」における優雅な暮らし
同心たちは、幕府から与えられた、八丁堀の比較的広い屋敷に住んでいましたが、その維持費や、私的に雇用していた岡っ引きへの給金は、すべてこの役得によって賄われていました。
4.役得が支えた「持ちつ持たれつ」の治安体制

この役得の仕組みは、単なる腐敗として片づけられるものではなく、一定の合理性も備えていました。
- 自腹で行われる捜査活動
同心は、配下である岡っ引きを雇うための費用を、幕府から支給されていませんでした。役得によって得た資金を、そのまま民間の情報網、すなわち岡っ引きへの報酬に充てることで、江戸の治安は維持されていたのです。 - 情報収集の対価としての金銭
商人は金を支払うことで安心を手に入れ、同心は金を受け取る代わりに、その商人の周囲で起きている犯罪や不穏な動きを、いち早く察知することができました。
5.役得の極点――賄賂で築かれた「金銀の蔵」
なかでも有力な同心、特に経済案件を扱う職務に就いていた者の中には、幕府の役人でありながら、大名に匹敵するほどの蓄財を成した例も存在します。
もちろん、汚職が度を越した場合には「お家断絶」などの厳罰が下されることもありましたが、基本的には、
「庶民の味方として機能している限り、多少の役得は武士の嗜み」
という暗黙の了解のもとで、黙認されていたのが実情でした。




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