男だらけの江戸の町
江戸時代、天下の中心となった江戸の町には、男があふれていました。
当時の記録によれば、人口の六〜七割、時期によっては男が女の二倍近くに達していたといいます。では、なぜそんなに男ばかりだったのでしょうか。
武士の町
第一の理由は、江戸が武士の街だったからです。
諸大名は幕府に命じられ、江戸に屋敷を構えて詰め(参勤交代)をしなければなりませんでした。しかも多くが単身赴任。国元には妻子を残し、江戸屋敷には男の使用人ばかり。つまり、武士社会だけで男の数が膨れ上がったのです。
職人の町
次に、職人や日雇いの流入です。
江戸は火事と建設の街でした。橋、堀、長屋の建て替え、船運――すべてが人手勝負。地方の若い男たちが「出稼ぎ」として次々と江戸にやってきました。彼らは男だけの長屋に暮らし、汗を流し、仕送りをしながら数年ごとに入れ替わっていったといいます。
そして、女性が旅や移動を制限されていたという社会の壁。
奉公や遊女として江戸に出てくる女性もいましたが、数としてはごくわずか。独り身の女性が自由に暮らせる時代ではなかったのです。だからこそ、長屋の「おかみさん」や「飯炊きおばさん」といった存在が貴重でした。
この極端な男女比が、江戸の文化に深く影を落とします。
江戸の女性たち
恋や情が“手に入らないもの”になると、それは幻想として、男たちの心に磨かれていくものです。
男たちは吉原や深川の花街に「女の幻」を求め、女たちはその幻想を糧にして生き延びました。そこには、「足抜け」や「心中事件」などの舞台やドラマになるような出来事も、あるいはあったかもしれません。なにしろ、女性が少なかったのですから__。
そんな悲喜こもごもの色模様の中で、
こうして生まれたのが、「粋(いき)」と呼ばれる独特の美意識です。

報われない恋、約束しない情――その潔さが粋。
思いを引きずることは“野暮(やぼ)”とされ、
恋も人生も、すっぱりと笑って流すことが美とされたのです。
江戸の町のどこかに漂う哀しさや艶っぽさ……。
あるいは、この“男ばかりの社会”だったからこそ、
生まれた影の美学だったのかもしれません。



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