PR

江戸時代の年末は命がけだった?煤払い・掛け取り・同心が走った歳末のリアル

江戸の同心と治安

晦日そばと借金取りの夜。
祖母が「晦日そば」と呼んでいた、その年末は──

江戸時代の年末は命がけだった?煤払い・掛け取り・同心が走った歳末のリアル

江戸時代の年末は、現代の私たちが想像する以上に「新年に向けて身を清め、一年のツケを精算する」という、非常に熱気と緊張感にあふれた時期でした。

江戸っ子たちにとって、大晦日は単なるカレンダーの終わりではなく、文字通り「命がけの戦い」のような側面もありました。

年末の歳時記・正月準備は12月13日からはじまる。

江戸時代の正月準備は、現代よりずっと早い12月13日の「正月事始め」からスタートしました。

煤払い(すすはらい)

12月13日に行われる大掃除です。単なる掃除ではなく、神様(年神様)を迎えるための「神事」でした。掃除が終わると、仲間を胴上げして祝宴を開くなど、お祭り騒ぎになることもありました。

餅つき

25日過ぎから街中に「餅つき屋」が現れます。江戸では自分たちでつくよりも、専門の「引き摺り餅(ひきずりもち)」という出張餅つき職人を呼んで、威勢よくついてもらうのが粋とされていました。

歳の市(としのいち)

浅草などの大きな寺社で、正月飾りの市が立ちました。有名な「羽子板市」もこの流れを汲むものです。

年越しそばの習慣と江戸っ子の「縁起担ぎ」

江戸時代中期には、すでに大晦日にそばを食べる習慣が定着していました。

当時は「年越しそば」という呼び名よりも、「晦日(みそか)そば」「運そば」と呼ばれることが多かったです。

余談ですが、明治28年生まれの祖母は「晦日そば」と呼んでいました。大正10年生まれの父もやはり「晦日そば」と呼んでいました。戦前生まれまでは、そのような呼び方が普通だったようです。

理由

そばは細く長いので「健康長寿」を願うほか、「切れやすいので、一年の苦労や災厄を断ち切る」という意味が込められていることは、有名な周知の話ではないでしょうか。

意外な理由

金細工職人が飛び散った金粉を集めるのに「そば粉の団子」を使っていたことから、「そばは金を集める(金運アップ)」という非常に現実的な縁起も担がれていました。

大晦日の「掛け取り」:借金返済のデッドヒート

江戸時代、年末が最も忙しく殺気立っていた最大の理由は、商売の「ツケ(掛け売り)」の精算です。

一年の決算

当時は盆と暮れの年2回(あるいは年末のみ)にまとめて支払いをするのが一般的でした。大晦日までに借金を返せないと、面目が立たないだけでなく、翌年の商売にも響きます。

掛け取り(かけとり)

商人は未回収の代金を取り立てるため、除夜の鐘が鳴るまで町中を走り回りました。一方で、払えない庶民は居留守を使ったり、押入れに隠れたりと必死の攻防を繰り広げます。落語の『掛取万歳』などは、この様子をコミカルに描いています。

同心たちの動向:年末の治安維持

年末は「火事」と「犯罪」が激増するため、町奉行所の同心や目明かしたちにとっては、一年で最も忙しい時期でした。

火の用心

乾燥する冬、江戸は火事が最大の恐怖でした。町中を「火の用心」と回る夜警が強化されます。

犯罪の増加

年末はお金が必要になるため、「火事場泥棒」や「押し込み(強盗)」、そして借金苦による心中や夜逃げが増えました。

同心のパトロール

同心たちは「歳末警戒」として、盛り場や長屋を厳しく見回りました。特に、大晦日の夜は借金取りと払えない者のトラブルが絶えず、仲裁に駆り出されることもあったようです。

それでも、同心は江戸で南北それぞれ100名程度。幕末の治安悪化の時期には、それぞれ4~50名づつ増えたそうです。しかし、いわゆる、江戸の街を巡回、見回りしている、中村主水さんのような同心は、常備、南北それぞれ3~40名程度だったそうです。いかに江戸の街が平和だったかがうかがえます。

江戸の年末は、「神様を迎える清らかな準備」と「借金をめぐるドロドロの追いかけっこ」が同居する、非常にエネルギッシュな期間でした。

除夜の鐘が鳴り止み、年が明けた瞬間、すべての借金取りは引き上げ(元旦に取り立てるのはタブーだったため)、ようやく江戸の街に平穏な「寝正月」が訪れるのです。

江戸の歳末の様子は、昭和のTVドラマで人気だった数々の時代劇にみる、庶民の暮らしぶりなどから想像する様子と、実は、それほど変わらなかったのかもしれません。

近年の時代劇は、だいぶ劇画的なものが増えていて、よりエンタテイメント要素が強いですが、素朴な昭和の時代劇が、実は、現実の江戸時代に近かったというのは、なぜか、ほっとしますね。


江戸後期の浮世絵師・歌川国芳

この絵は、江戸後期の浮世絵師・歌川国芳による作品で、大晦日に行われた「煤払(すすはらい)」、いわゆる年末の大掃除の様子を戯画的に描いたものです。猫や犬、鹿などの動物を人間のように擬人化し、梯子に上って拭き掃除をする者、床を磨く者、道具を運ぶ者など、皆が一斉に働く姿が描かれています。国芳は、こうした擬人化や群像表現を得意とし、庶民の暮らしや年中行事を、ユーモアと観察眼をもって表現しました。この絵からは、煤払が単なる掃除ではなく、一年の穢れを落とし、新年を迎えるための共同作業であったこと、そして忙しさの中にもどこか楽しさがあった江戸の年の瀬の空気が伝わってきます。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました