茶立女(ちゃたておんな)
江戸の町を歩いていて、ふと足を止めてしまうような茶屋があった──
足を止めてしまう理由は団子の甘い匂いでも、酒の香りでもありません。
そこにいる、にこやかな「茶立女(ちゃたておんな)」の笑顔に惹かれて、つい腰を下ろしてしまった男たちは、少なくなかったといいます。
茶立女とは、江戸時代に庶民向けの茶屋で給仕をしていた若く、愛嬌のある女性たちのこと。
いわば現代の「看板娘」の原型であり、時に恋心すら芽生えさせたその存在は、江戸庶民文化の柔らかい一面を象徴するものでした。
■ 茶立女ってどんな女性?
茶立女とは、江戸時代中期以降に登場した、お茶や団子、甘酒などを出す茶屋で働く若い女性たちを指します。
名前の通り、「茶を立てる=お茶を点てて出す」ことからその名がついたとされますが、実際にはそれ以上の意味がありました。
彼女たちはただ給仕をするだけでなく、店の雰囲気づくりそのものを担う存在。
柔らかく、明るい物腰と、控えめながらも華のある装いで、客をもてなすことで、店の評判を高めていたのです。
実際、茶立女の顔目当てに通う常連客も多く、
「今日の団子はちょっと焼きすぎじゃないか?」とからかいながら、彼女たちの笑顔を引き出すのも楽しみの一つだったとか。
■ 「風流茶屋」や「見世茶屋」との違い
遊女や芸者を呼ぶような高級茶屋とは違い、茶立女がいたのは庶民向けの町茶屋でした。
そうした茶屋は、門前町、橋のたもと、行楽地、街道沿いなどに多く見られ、
手軽な値段で団子や甘酒を楽しめる日常の癒しの場。
風流茶屋が「季節と芸を味わう場」、見世茶屋が「艶と虚構の世界の玄関口」だとすれば、
茶立女のいる茶屋は「ちょっと一服、日々の疲れを忘れる場所」だったといえるでしょう。
茶立女に求められたのは、色気ではなく“間(ま)”
茶立女が人気を得るために必要だったのは、
美貌や派手な装いよりも、客との距離感の取り方、絶妙な“間だったかもしれません。
ちょっとした冗談に微笑み、酔客の軽口を上手に受け流す。
馴れ馴れしくなりすぎず、かといって冷たくしすぎない。
この「接客の間合い」を自然にこなすことこそが、彼女たちの「技」だったのです。
それは、現代でも、夜の世界で生きる女性たち、あらゆる職業の、「接客により客に癒しを提供する」などの場面にも通じるものかもしれません。
ちなみに、江戸の川柳や狂歌には、茶立女の話題がよく登場します。
「茶屋娘 笑顔ひとつで 三文の徳」
「団子より 娘のえくぼに 箸がのび」
──こんな句が広く詠まれていたことからも、彼女たちがどれだけ庶民の心に残る存在だったかが伺えます。
茶立女は「自立した女性像」のはじまり?
実は、茶立女は「売られた」存在ではありません。
遊郭の遊女とは違い、自ら働きに出て、店の看板を背負うという点で、当時としては非常に珍しい“表舞台に立つ若い女性”だったのです。
多くは店主の娘や身内でしたが、なかには町の評判を聞いて他所から嫁いだり、奉公に出る者もいました。
中には、その人気と機転を活かして、のちに自分の店を持つ茶立女出身の女将もいたとか。
そう考えると、茶立女はまさに「働く女性」「自立した女性」の草分け的存在とも言えるのではないでしょうか。
今もどこかにいる「茶立女」的存在
現代にも、街角の喫茶店や定食屋に、
「ここに来るのは、あの人の接客が好きだから」と思わせる女性がいます。
それは、料理の味以上に、
そこにいる人の雰囲気や言葉に癒されたい、という“人間らしい欲求”なのかもしれません。
茶立女は、そんな江戸人たちの心の隙間に、そっと寄り添う存在だったのです。



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